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イラク派兵で負傷、パワハラ・退職強要と闘う池田自衛隊裁判

弁護団・増本弁護士の裁判報告(2)


帰国も公務災害も認めず
 
 恐らく、イラク支援で行っている自衛隊員が怪我をしたということになれば、原因がどうであれ、その後の国の姿勢・方向性に歯止めが掛かってしまう可能性があると、そういったことを恐れて、早期の帰国を認めずに留め置いた訳ですね。
 その結果、池田さんは、先ほど言ったような程度の治療しか受けられずに、結局、クウェートでの任期が満了する8月の終わりまで、クウェートに留め置かれることになります。
 さらに悪いことには、クウェートでの今の事故というのが、当初、公務災害に認定されず、公務災害ではないという扱いを受けました。
 池田さんは、派遣前には、「石につまづいて怪我をしても公務災害になるから、安心して行って来い。」と言われて送り出されたんですけど、そういった基地内での事故にも関わらず、公務災害認定が下りないということになりました。
 帰国後、もちろん怪我をしているので、池田さんはすぐに病院に行って、首や肩、腰、全身の痛み、それから顎、顎関節。事故で後ろから追突されたので、顎が一瞬ずれるという傷害があり、それで口がどんどん開かなくなって行ったんですね。その治療だとか、それから精神科への通院というものも始めました。
 治療費については、公務災害認定が最初下りなかったので、海外保険で賄っていたんですけど、その海外保険が、その年の12月末で終わりということになったので、年が明けてからは、自分のお金で治療を続けなければならないと。もちろん、働きながら。そういったことで、そもそも、充分な通院も出来ない状態が続きます。
 公務災害認定、最終的には認められるんですけども、それが認められたのが、事故が7月4日、その11ヶ月後、次の年の5月の終わりです。
 この11ヶ月という認定の遅れが、本来もっと早く認定されていれば、キチンとした治療を受けられて、それによって、現在のような後遺症が残らなかったはずなのに、自衛隊のそういった色んな思惑によって、池田さんが犠牲になった結果、後遺症が残ったということが、一つ、大きな事実としてあります。
 
療養補償給付の打ち切り

 さらに、これだけではなくて自衛隊がその後、一度は認めた公務災害認定による療養補償給付を打ち切ります。
具体的には、事故から4年ほど経った2010年の12月20日。この時の池田さんの状態はどういう状態かというと、顎については、どんどん口が開かなくなっている。開口量が、1ミリしか開かないという状態まで悪くなっていました。当然、物が噛めないので、流動食しか食べられない状態。
 そういった状態で、とてもまだ症状固定になってない。まだ治療を続けたい状態であるにも関わらず、自衛隊側は「もうこれは良くならないんだ、症状固定なんだ。」ということで、わざわざ池田さんと一緒に診察に付いて行って、医者に、そういうことで症状固定にしてくれと、圧力を掛けます。
 症状固定の診察を書いた医者自身が、診察記録の中で、「まだ治療を続ければ、リハビリを続ければ改善する、口が開くようになる余地があるんだけれども、そういった池田さんと自衛隊の上司の人が一緒に来てそういうことを言うので、症状固定にします。」というような趣旨の記載を残してるくらいでして。
 まだ良くなる余地がある状態なのに、自衛隊のそういった行動によって、無理矢理、症状固定、治療打ち切りに追いやられたということが明らかです。
 
自衛隊内でのパワハラ

 さらにその後、自衛隊内で、池田さんに対する傷害事件が起きます。
内容は、同僚の自衛隊員が池田さんに対して暴行を加えたというもので、それ自体パワハラなんですけれども、この傷害事件についても本来、被害者であるはずの池田さんを、自衛隊側が一方的にお前が悪いんだと悪者扱いにして、最終的に、池田さんを退職に追い込みます。
 この辺までが、最初の事故から退職に至るまでの簡潔な流れになってます。
 それでですね。退職してから2年くらいたった、2012年の9月26日に、池田さんは、今お話ししたような自衛隊の違法な扱いについて、国家賠償訴訟を提起します。
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